みずかがみ

奈良の天河で本当の自分と出逢い、不思議な体験をしました。人生の日々の學び、湧いてくることを心のままに綴っていきます

家族の御縁

母に、ブログが6位になったと報告をした。




書籍化するのも夢じゃないと、人生の可能性を感じてほしかった。ただ、それだけだった。




常識や固定概念に囚われないでほしかった




母から既読がつくことはなかった。




姉はもうとっくにブロックされている。まさか母までそんなことをするとは思わなかった。




『縁を切ることにしたんだな。』




静かだ。不思議と悲しみはない




本当の自分は何一つ傷ついてなどいないのが分かる




これは、心の麻痺か?人間らしさを無くしたのか?それとも、これが真実なの?




やっぱり僕は大切なものを無くしてしまったの?




偉そうにブログなんか書いてるけど、所詮世の中のことも人のことも何もわかってないクソガキのままだ




家族の縁は、そんな簡単なものだったのか。




そうか。




俺はただ、苦しみと向き合って、本当の幸せを知ってほしかった。逃げないでほしかった。だから苗字も変えなかった




幸せは、綺麗事じゃない。苦しみもセットだ。目を逸らしてちゃあ、いつまでも見えないままなんだ




父さんのことも、見捨てることなんか出来なかった。愛してるから。




俺が欲張ったんだ。だから全部無くした。全部救うなんか無理だ




じゃあ、1人で良い気分で居れば良かった?




山に篭って、詩を書いて、文章を書いて書道をして、自然を感じて、茶道をして、踊って、瞑想して座禅して、そんな至福の人生に1人で三昧すれば良かった?




それとも、死ねばよかった?そっちの方がよかったの?




目覚めたら、本当の自分を知れたと思ったら、絶縁するなんて。そんな人生ありかよ




生きてるうちに、後悔しないように行動しないと、肉親が死んでからずっと悔やむだろう。




でも今は、もうわかんないよ




何が本当の正解なのか。愛してたって、伝わってないでしょ?




正解なんてあるのか?




病んでないんです




でも、縁を切られたという、この中立の現実に




実感が湧かないだけだ。




苗字を変えればよかったのか




ただの記号に安心して、心で繋がらず、見せかけの幸せで苦しみを包み隠し続ければよかったのか




父を切り捨てればよかったのか




自分たちだけ幸せになればよかったのか




一緒に苦しみから目を逸らし続ければよかったのか




それが大人になるってことか




そうか




母さん。




じゃあ俺は




死ぬまで大人になど成れない。




ごめん。