いつもクリックありがとうございます^ - ^
実はこの記事100記事目なんです!!!ブログを初めて1ヶ月半、書きたいから書いてます
これからもずーっと続けたい。
さて、実は読んだ方から初めて厳しい意見をいただきました。
正直、グサってきたし凹みました。悪気は全くなかったです
その方も、もしかしたらこの記事を読んでおられるかも知れませんが、これは學びになると感じるので所々シェアさせてください。
シェアすることが嫌と言われた場合はこの記事は削除させていただくのでご理解ください。
スピリチュアルが嫌いだとありました。自分が愛で素晴らしくて人に優劣をつけて見下してるように感じられたそうです
障がいのある方を僕のエゴに巻き込んでるように見えて遺憾に思われました。
本当に申し訳ありませんでした。
僕の慢心と文章力の足りなさが招いた結果だと思います
ですが、自分を責めた瞬間ちょっと待てと我に返った
『如何なる時も現実は中立だ』
そんな気持ちが湧いた
すっかり感情に同化してしまってた。
僕は多分人を攻撃はしていない。愛のままに感じるままに書いているだけでした
障がいのことも、仕事として関わる中で彼らは素晴らしい子供達だと感じたんです
ここから先は耳が痛い話です。もちろん批判も覚悟して書きます
世の中にある批判は、究極的には全てその人の中に問題があると思います
(今回は犯罪に対する批判は抜きにして考えてください)
人は写し鏡です
水鏡のようなもの
自分の作った波紋の波が鏡のように反射してるんです
だから否定したくなる。批判したくなる
人の中に自分の問題(歪み)やトラウマを見たとき批判したくなると思うんです
色んなパターンがあると思います
多分今回の場合、見下された経験、差別、色んな自分の中にある解消されてない歪みが残ってて、それ人の中に見て、人に写して批判してしまうと思うんです。
ごめんなさい。これも悪気はないです
でも、僕が批判に謝り続けたって何の解決にもならないんです
世の中のテレビを見ればそれはすぐに分かるでしょう。批判の嵐です
批判しそうになったとき
一歩下がって自分を見つめてみてください
感情に同化しないでください
なぜ批判したくなった?なぜ?
冷静に見つめてみてください
何か、あなたの中に原因があるはずです
苦しい作業ですが、負けないでください
血反吐を吐いたっていいんです。死ななきゃいいんです
そうやって僕は向き合いましたから。
この先もブログでぶつかったり批判したりされたりがあると思います
僕だって本当にダメダメな人間ですし、人を責める時だってあります。
間違えることも多いし、その時は謝って反省して次に生かしたいです。
間違うことを悪いとは思いません。間違うから學べるんです
『私はこう思う→意見。あなたは間違ってる→批判』
似て非なるものだと思います。
出来事に対する反応(解釈)がストーリー(人生)として展開されていきます。出来事を無意識に自分で着色して演出してるんです
そうやって人生を客観的に見ると、見え方も変わると思うんです
だけど、綺麗事だけではこの世界で生きていけないことはこの25年で十分學べました。
意見や批判に自らも反省して學び、相手の為にも逃げずに誠実に向き合っていきたい。
僕は、堂々と生きます。
謙虚で在りたい
まだまだ未熟者ですが、今後ともよろしくお願い致します