みずかがみ

奈良の天河神社で本当の自分と出逢い、不思議な体験をしました。2019年1月1日より踊りで日本一周を開始します

肉食主義者と菜食主義者

みなさんこんにちは。いつも応援ありがとうございます。




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さて、最近阿部さんのブログで自分のコメントのせいで菜食が批判されるようなことがありました。




なんか、ごめんなさい。




記事の内容に対して、お肉が食べられなくなったということと、動物より人間が優先なのでしょうか…みたいなことをコメントしました




攻撃したつもりもないし攻撃されるようなことを言った覚えもないので、批判は難しいですね。




別に僕はお肉を食べること、一切否定してません。無くすべきとも思いません




将来子供が出来たら食べることを勧めると思います。




そのかわり、いただきますとごちそうさまの意味はちゃんと教えますし、粗末にしようものなら叱ります。




子供の純粋な頃から自然と感謝する気持ちを育んでほしい。




僕はただ、命をいただいてる現実から目をそらさないでって言いたいだけです





たとえば、牛は殺されるとき泣き叫んで周りの牛は仲間が殺されて涙を流すという情報がありました。血も吹き出るし残酷過ぎる光景だと思います





間違いなく感情や人間と同じ痛覚を持っていて、恐怖と痛みの中で死んでいます。





そこまでして命をいただいているのだから、焼肉も当たり前だと思わず、牛さんありがとう。牛さんの分まで生きるねって…綺麗事って思われるかな




僕が食べないのは、食べたくなくなったからです。




天河から帰って以降、色んなことの感じ方が変わりました。なぜ猫と犬はスーパーに売られてないのか疑問に思いました




これは理屈じゃなくて感覚です。本当に疑問なんです





ペットだからとかいう人間の常識とか固定概念は求めてません。







例えばウサギ。今の時代ならペットですしスーパーに売られようものなら大ニュースです




でも昔の日本では当たり前に山で捕まえて食べてました。美味しいからです




ペットに関しては完全に人間が決めた動物の命の優劣だと思います。だからペットを食べないのと同じ感覚でお肉を食べなくなりました




美味しそうにも見えないです。死骸が切り刻まれてラップされてる、そんなかんじです





別に魚を代わりに食べればなんてことないし、元漁師なので捌き放題です




じゃあ植物や魚は可愛そうじゃないのかとか、とにかく肉を食べないってだけで攻撃してくる人はたくさんいます




ここは言わせてもらいたい




別に、いいやん…。個人の自由じゃん。食べたいものくらい選ばせてよ。それだけ執拗に攻撃するってことは自分を正当化したいだけでしょって思ってしまう




批判はその人の写し鏡くらいに思うことにしてる。




もちろん學びになる意見はちゃんと受け止めます。ですが異常なほどの攻撃はその人の問題としか思えない。




だから、この問題に必要なのは互いの理解。違いを認め合うこと。正しさを押し付け合う必要はない




僕は、食べ物に見えなくなって、周りに合わせて付き合いで食べるのも違う気がしたんです。




それに、自分が死ぬまでお肉を食べなくなったことで助かる牛さんや豚さん鳥さんがどれだけ多いことか。




それだけです。人によっては偽善者と言われたりすると思いますが、好きに解釈して好きに呼んでください




ちゃんと命に感謝出来るなら何を食べてもいいと思います。




おじいちゃんも戦争時代は戦死した友人を食べたって言ってました




難しい問題だけど




ごちゃごちゃこの話題で争うのは本末転倒な気がする




食べられた生き物もそんなことは望んでないと思う。自分の命が無駄じゃなかったと思えるような生き方をしてほしいんじゃないかな




この記事に関しては、批判も覚悟してます




まぁでも批判を恐れてたら何も発信出来ない




ドンとこい




ちゃんと受け止めて今後の學びにします




今日も読んでくれて有難う。